年長者としての責任というか、義務というか、役割というか、そうありたい姿がだんだん自分の中で見えてきました。

それは若手の邪魔をしない、若手をそそのかし未知にチャレンジさせる、失敗を意味あるものにする手助けをする、持っている知見を全て惜しみなく渡して利用してもらう、仮にその知見を不要と言われても腐らない、若手に気を遣わせない、ことかと。
決して自分が主役だと思わなことが重要だと思いまうのです。若手の勢いを損なうような振舞いをしない事をやれているかどうかが重要に思えるようになってきました。

いつになっても主役を譲りたがらない年長者がいるものです。たぶん、若手からすると邪魔でしかありません。部長級の人がこのタイプだと、組織が上手くいかない事が多いように思えます。一方で課長級の人達が「あがり状態」で最前線に出たがらないという勘違いも困りますが。。。職級で一概にも括れないところがあるので判断軸はあくまで組織成果が最大化されたか否かだと思います。
若手の蓋にならないように(イワシの水槽の衝立のような障害)偉そうにしない、行動を制約しないようにしたいものです。経験を持っている者たちがそれを武器に持たざる者を脅したり、やっつけたりする姿は醜いです。

自分が持っているモノは古い過去実績だとしっかり認識して、参考資料として使ってもらう程度の認識で取り組んだ方が良いですね。そもそも古い情報だから今通用するか分からない、という状況変化をとしっかり認識しておきたいです。
そして年長者の努力すべきことは、自らは頭を柔らかくしておくという事だと思います。その為に若手、社歴の浅いメンバーの発言を無下に軽視しない、対等に対話するのが望ましいですね。頭の柔らかい人は偉そうに見えない事が多いです。

また、年長者は結節役、繋ぎ役を担う事へ重心をズラしていくのが良いですし、それが相対的に得意なハズです。長く取り組んでいる分だけ環境に馴染んでいてより隅々まで分かっているハズですから。

手柄は出来るだけ若手に渡してあげて欲しいです。そうしていたとしても、周りは誰がサポートしたのか分かっています。ある特定の年長者がいる組織は若手が活躍する、というのはそんな背景があるのです。
支援者として、頑張る若手を援護できているとそういう事が起こるのですね。それこそが長者の価値だと思います。
競うべきことろは、若手以上に年長者自らが学び続けているか、というところであるべきだと思います。

しっかりバトンを繋ぐ年長者になりたいと思う今日この頃です。
【例外】徒弟制度やスポーツの世界は別かも??対等に戦い合う事で磨く世界もありますね。