当たり前な打ち手は、当たり前の売上・利益にしかならないように思います。決して悪い事ではありませんし、確実な連続性が見込めるのであれば、これはこれとして真剣に取り組むべき事です。

ただ、世の中には当然に競合がいて(それこそ健全)、彼らは重厚長大になってしまった古い仕組みを飛び越える身軽さを持っている事が多いです。新参者は特に何も持っていないので、何にでもなれます。
それらも視界に入れつつ、取り組みたい新しい策は多くの場合、グレーゾーンから始まるケースが多いように思います。

真面目な秀才には比較的苦手な思考法のようです。カチっとした正解がないからです。あるいは、それってズルくない?と言われるような打ち手が勝ったりするからです。
ズルさが必要とされる何でもアリの勝負の世界(守るべきルールの枠のギリギリまでフル活用するような思考力)を経験して来た人は結構強いようです。
更にイタズラ心や面白がる視点を持っている人が特に大きな努力もせず、よく突破していく事が多いように思います。

なぜなら、やはりそこには正解がないからだと思います。既存の正解集は既に陳腐化しています。
そんなのありか?をあり得るかも?と言う視点で前向き検討できるかどうか、です。

常に抜け道・ショートカットはあり得ないか?を当たり前に考えるクセを持っているか?です。
常識・ルールは時代とともに変わります。その変化のスピードは年々早くなっているようです。
数年前に考えられなかった事が当たり前になってしまっている事例を幾つも経験してきています。Google先生もスマホもYouTubeもTikTokも加速度的に当たり前化してきています。
そこまで大それた事で無くても、ある方向に向けた打ち手を考える際に、何でもアリの前提で想像力を膨らませてみると良いです。その際の制約条件はナシです。

そして上記のドットのように点在する様々な打ち手を出した後から、現在の社会常識や社会規範、公序良俗的観点で制御するのです。

上記の円が今、実行が許される境界線として後から制御していくイメージです。そうする事で境界線ギリギリのグレーゾーンに位置する施策が生まれたり、今はギリギリ境界線をハズレてしまっていても来年あたりになると実行が許される案などが生まれてきたりします。
このプロセスの順番を違えると、制約ありきのごく当たり前のつまらない施策しか出てこない傾向があります。
常に何でもアリの後に、今実行が許されるか?の視点で制御する考え方で取り組むときっとイイ事が起こせます!

大した実例ではないですが私はそうやってビジネスマン生活30年をボチボチ順調にやってこれました。