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引退ビジネスマンのモノローグ

それなりに充実したビジネスマン生活を送ってこれました。ここ数年、今後の人生を考えてきましたが、まだ体力的にやりたい事が出来る時期に引退し、MUSTに縛られて生きるのではなく(最近、頭の中に「奴隷」と言うワードがよく思い浮かんでしまいます)、素直なWANTに取り組んでいこうと思います。

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友達は必要か?

そもそも友達とはなんでしょう?

ググってみると「勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。」だそうです。

志と言う意外なワードが出てくる反面、同等の相手と交わる?みたいな結構浅い状態なんだなぁ、と言う感想です。まあ、遊び友達と言うのもいますもんね。

感覚的には敵対関係にはなく、とちらかと言うと味方的振舞いを期待出来る相手で、近くにいても不愉快にならない、ある種の緩い集合体の中にいる人のように思います。

更に、相互に人格存在として認め合っているかどうか、もあるように思います。

また、友達・友人は双方の関係性の状態と言う事で、決して安定的・固定的なものではないと思います。

そう考えると、友好な関係を固定的に縛り合うものではなく、接点を持つ度にその関係性を発揮できさえすれば良いのかも知れません。

友達なのに、ある瞬間の対応を間違えて、一気にその関係性が崩壊してしまうこともあります。

友達と言う曖昧な継続的関係性よりも、ヒトと近接した際の対応の連続性こそが重要なのではないか、と思います。

友好な関係性維持の為には、接点を持つ際に、期待し過ぎない事(ギバーでいる)、依存しない事、一人のヒトとして尊重し合う、等が友好だと思います。

こんな風に考えてみると、友達がいるとか、いないとかよりも、ヒトと接する時の基本的スタンスを自分がしっかり持っている事の方が大事と言うことにならないでしょうか。

友達はいるかどうかは分からない、でもヒトと接する際には、相手と自分を平等に思い、相手を尊重して、失礼な対応はしない自分自身でいる、と言うことが大事な気がしてきます。

何でも認めてくれる友達や、どんな不義理な自分に対しても味方になってくれる友人を期待するのは手前勝手過ぎます。自分と相手の立ち位置を置き換えてみれば当たり前の事です。(これは自分自身への戒めです)

これも、ある意味、自分を俯瞰して観察するメタ認知だと思います。無条件で都合良い友人などいないし、それは逆から見ると「奴隷」かも知れません。

期待し過ぎない、と言うと寂しい感覚を持ってしまうかも知れませんが、それぞれの主観の数だけの世界があって、他者に自分のそれを強要する事は出来ませんね。

まあ、それほど重く考える必要も無いとは思うものの、相手に甘え過ぎず、健全なギバーとしてのスタンスを常に持てるようになりたいです。

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