バネチャンネル

引退ビジネスマンのモノローグ



神は細部に宿るのか?

あるいは、悪魔が細部にこだわるのか?と時々疑わしく感じる事があります。

大事なのは本質や骨子なのに些細な事に突っ込みを入れる際に「神は細部に宿る」とか言ってる人がいるからです。なんか使い方が違うような気がします。。。

こうやって間違いを見つけた人があたかも完成度が高いかのような振る舞いをしていると違和感を感じてしまいます。ホントに下らないヤツだと思います。

間違い探しとして細部を見るか、本質の発現として細部に気付かされるかで大きく意味が変わってくると思います。見る側の目的が何なのかと、作成者側の特性が自然と伝わってくるか、の違いなのかも知れません。

間違いが仮にあったとしたら相手を痛めつけるのではなく、より良いものにする為にポジティブな雰囲気にする方が良いですし、モチベーションを損なう神は同じ神でも「堕ちた天使ルシフェル」な気がします。

不完全なアウトプット物に使うのではなく、想像以上に素晴らしい出来栄えの何かを形容する際の言葉なのだと思うのです。このいやらしい使い方をしていくと周囲の人は、ミスしてはいけない、と縮こまってしまい、その人の可能性を閉ざしてしまうと思います。

得意げにそんな使い方をしている人の心には間違い無く堕ちた天使が棲みついています。既に呪われている存在なので、どんなに頑張っても思い通りになりませんし、近くに人が居つきません。全て自分の責任です。

素晴らしいアウトプット物はその存在全てが神に祝福されているかの如くオーラが漂うでしょう。そう言う時にこそ「神は細部に宿る」と言う言葉を使いたいですね!

個人的には、神は本質に宿る、細かい事は神様は気にしない、と言うのが正しいのではないか思います。

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