長い事、比較的大きい会社に関わってきて、ある事に思い至りました。

それは表題の会社のルールです。かなり細かい事まで規定されてがんじがらめのルールになっている会社と、ルールなどあって無きに等しい会社もあります。

そのルールの厳格さと業績に相関関係がありそうには思えません。
私が経験した一社目は大したルールはなく、そこにあるのはナレッジがメインでした。2社目は事細かにルールが決まっていて、特にやってはいけない事や、暗黙の行動規制があり、堅苦しい雰囲気でした。

これは経営が判断した平均社員像と、経営人格の掛け合わせで設定されているように思います。
厳しいルールは、社員の自立性・自律性よりも、強制力が成果に繋がると考えられているのだと思います。あるいは過去の実例実績からどんどん厳しいルールが積み重なってきてしまったものかも知れません。一度厳しくなったルールを緩くする事は至難の技です。

一方で個の自由意志こそが未知の成果を創り出せると言う確信(あるいは本人の経験か?)があれば、自由度をしっかり担保していくと思います。

従業員トップレベルの実力者のほとんどは不要なルールをすっ飛ばす傾向にあります。拘束にしかならず成果の邪魔をするルールを無視するのです。見方によっては、それが「怠け」です。そうやって時間を作り、レバレッジの効いた成果出しにチャレンジしていくのです。

合目的的に考えると、企業の目的は価値創造・利益創造なので、それが果たせるならば全てなルールをやる必要はなくなるはずです。
しかし、従業員を信用しない経営陣は統一的ルールにこだわりがちです。最近ではコロナ影響で顕著な違いが見え始めましたが、出社義務や、フレックスタイム制、雇用形態の多様性許容などでその会社のルールに対する考え方が顕著に見えてきています。

会社のルールの枠に収まらない社員(上にも下にも)はいずれそこを去る事になります。上にはみ出す人が生き残れる会社に出来るとその会社の成長駆動力が強まるのですが、なかなか難しいですね。ルール好き経営陣は他者を信頼しづらい人達なので。
目的組織たる企業は、常に目的と手段を明示する必要があります。何となく不安だからルールを変えないとか、世の中全体のマジョリティに従うと言う考え方の企業は、スタンス自体が右へ倣えと言えるので、飛躍的成長と言う視点では要注意な会社ですね。

良い会社やチームをあらためて考えさせられる今日この頃です。