アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971年)が提唱したもので「変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」と言う祈りです。

自分では変えられないものに腐心しても仕方ないので、自分で変えられるものを適正にピックアップし、そちらに全力注入する事で、無駄に悩まず人生をより良い方向へ変えていきたい、と言うメッセージです。

とても大事な考え方だと思います。自分でどうにもならない事に時間とパワーをかけて悩んでいてもプラスは生まれづらいですし、手応えもないので改善した実績作りにも繋がりません。

それよりも。自分のアクションで何とかなる事に注力した方が実際の改善に繋がりますし、よっぽど生産的ですし、時間のかけ甲斐がありますよねー。
でも、振り返って見ると、逆の事にこだわったり、時間をかけて悩んだりしてきた方が圧倒的に多いような気がしてしまいます。どうにもならない事が心から離れず、繰り返し繰り返し悩ませられてしまうようです。

なぜ、そんな事になってしまうのでしょう?
心配性と気に病む遺伝子を運んできた種が生き残ってきたという事ですね。わずか100年前までは飢え・疾病・殺し合いによる命をの危機がずっと続いてきた為、この気に病む病が生命保持と言う意味では機能してきたのですね。
一方でここ100年弱では人の生活環境は大きく変わり、必要以上の気に病む病が各人の心を傷つけてしまうのでしょう。
生得的な特性の影響で、結果的に仕分け作業の失敗も起こりやすいのかと。

これを修正するのは一つ経験が寄与します。なので年長者には有利な材料がたくさんあると思います。過去の心配事を振り返って簡単に分析してみると、ほとんどの心配事は起こらなかったし、起こっても全然大した事なかったし、心配損がほとんどだったなぁ、と思い至るハズです。それを未来の判定に使えばたいがい大丈夫!と思えるようになります。

では、自力では変えられないモノはどうするのかが良いのでしょう?それは受け入れてしまうのです。そしてわだかまりが残りそうなら、解釈力でポジティブ化転換してしまうのです。
どうせいずれ死にますし、自分の失敗を世の中の人はそれほど気にしてないし、結果的には大した事ないんですから。今生きてるだけで「めっけもの」と言う解釈力まで行き着けたら最強ですね。

外見上、同じように見える人生でも、どんな感情をもって生きるかでQOLは全く変わってしまいますし、周囲へのポジ・ネガ影響も大きく違います。どうせなら内面陽気で、接する人達にも愉快な存在でありたいですよね!!
